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東京の電車等の公共機関やデパートなどに届けられた遺失物は、一定期間保管されたのち売買され、再び商品として遺失物を販売するお店に並ぶ。

足を運んだ遺失物販売店では、商品となった遺失物が衣類や雑貨など大まかな品目に分けられ陳列されていた。
中には分類されず価格だけ貼られただけのものがいくつもあった。
店主に話を聞くと、元が遺失物のため正体不明の品物があるということだ。
名前と用途を喪失し、雑多に置かれた品物たちは「もの」として存在感を放っていた。

これは何だろう?
発掘した古代の遺物の謎を解き明かすように、遺失物だった「もの」を観察した。
掃除用具か舞踏の小道具、もしくは装飾物だろうか?
陳列棚に収まっている「もの」が様々な姿で活躍する想像をしたら、どれも正解のように思えた。

目の前の「もの」が未知のものとなったとき、「もの」の在り方が広がってみえた。
新しい名前を見つけるように、お店で出会った「もの」を撮ろうと思った。

海へ

時間があれば海へ行き写真を撮った
岩も雨も鳥も波の音の中でじっと向き合えば
ひとつひとつ輪郭は違うけれど
どれも同じなのだと思えた
生成と消滅だけが確かにある

海は反射する光をまとい、繰り返し、刹那に変化し
全てを見ることはできないが
いつだって想像することは残されていた
深く暗い海の奥底を想うことは
眠りについた人を想うようだった

どうにもならない出来事を景色に重ね合わせ
物語のように想像することで昇華してきた
この写真たちは私が生へ向かおうとしていた痕跡なのだと思う

太陽の面影

ぎゅうぎゅうの電車に出たり入ったり
ビルからビルへ行ったり来たり
気づけば鉄の部品になってしまう
まだ生物に未練があるから
どこかに太陽の面影をさがしている
(2015年制作作品より)

通学路で散歩道で近所の
そこら辺にある、ごく普通の風景たち

写真では千変万化の世界が現れるようにも
劇的な瞬間に出会ったようにも見える

だが、写っているのは
ある時あった日常の一部でしかない
(2012年)

ここは明るい

(2011年)

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